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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)11932号 判決

原告

石崎和男

右訴訟代理人

鍛冶良道

円谷瑛子

被告

丸山肇

右訴訟代理人

小木和男

岡田和樹

主文

一  被告は、原告が別紙物件目録(一)記載の土地のうち別紙図面(一)トチヌリト点を結んだ部分を、自動車で通行を含む通行を妨害してはならない。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は二分しその一を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一  申立

一  原告

1  原告が、別紙物件目録(三)記載の土地を要役地とし、同目録(一)記載の土地を承役地とする、自動車通行を含む通行のための通行地役権を有することを確認する。

2  被告は原告に対し、別紙物件目録(二)記載の物件を収去せよ。

3  被告は原告が別紙物件目録(一)記載の土地を、自動車で通行を含む通行を妨害してはならない。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  主張

一  請求の原因

1  原告は、千代田区神田神保町三―一七―一一所在の宅地125.61平方メートル、および右土地に隣接する同所三丁目一七―二所在の宅地13.71平方メートルの所有者であり、被告は、同町三―一七―九の宅地69.22平方メートルの所有者、訴外吉田敏は、同町三―一七―三四の土地10.51平方メートルの所有者である。

2  被告は、昭和二二年六月、前所有者訴外梅岡平七より、同町三―一七―九の宅地とその地上建物を別紙図面(一)トチハニトを結ぶ一、六五間(三メートル)の私道負担付で購入した直後、此の家屋(未登記・木造二階建店舗兼住宅)の別紙図面オルを結んだ線に接して、別紙物件目録(二)記載の建物を別紙図面(一)オルヌリオを結んだ部分に増築し、右私道(三メートル)に0.5メートル侵入して、占有使用してしまつた。

元来此の私道は、訴外吉田敏所有同町三―一七―一二所在97.98平方メートルの土地の境界線トチの線から、右被告の土地内に測つて三メートルの線(別紙図面(一)ニハを結んだ線)までをその範囲とするものである。然るに、右トチの境界線から2.5メートルの線(リヌを結ぶ線)に被告の増築家屋の外壁が侵出している。

そればかりか、後には被告は、通路のわずかに残された土地上にも、終日自己所有の乗用車を駐車させ、原告らの通行を妨害するに至つた。

3  なお昭和五年一月二一日には、建築線番号告建第二六三三号を以て巾九尺として道路位置の指定を受けている。而して昭和二五年建築基準法が施行せられたのである。

そこで、訴外吉田敏が昭和四八年七月建築確認を受け私道四メートル(基準法四二条の要求する道路巾)の中心線ホヘから二メートルのイロを結んだ線までを道路とされたのである。従つて、イロルナイを結んだ部分が基準法四二条二項に基く四メートル道路ということになる。

4  そこで原告は、以下の理由に基づき、被告に対し、前記通路からの妨害排除と別紙物件目録(一)の土地(本件土地という)の通行権の確認とを求めるものである。

(一)(イ) 昭和二二年六月一一日の地役権設定契約に基づく通行権の確認および妨害排除。

昭和二二年六月一一日、被告は訴外亡梅岡平七より、千代田区神田神保町三―一七―九の土地を譲り受けるに際し、同人との間において、本件土地を、右同町三―一七―二及び一七―一一(現原告所有地)一七―三―三四の土地への通行のための承役地とする旨の合意(地役権設定の黙示の合意)をした。

(ロ) 大正一五年頃の地役権設定契約に基づく通行権の確認および妨害排除。

仮りに(イ)の主張が認められないとしても、大正一五年頃、当時本件土地を所有していた訴外梅岡平七と、同じく当時千代田区神田神保町三―一七―一一の土地の賃借人であり、同地上に建物を所有していた訴外大須賀清二郎との間において、本件土地を含む南北の公道に通ずる巾1.65間の土地を、右三―一七―一一の土地への通行のための承役地とする旨の合意(地役権設定の黙示の合意)が成立した。

被告は、右承役地たる三―一七―九の土地を訴外梅岡より取得するに当つて、右承役義務の地位も引継いだものである。

(ハ) 昭和二二年の分割売買における地役権設定契約

仮りに大正一四、五年当時の通行地役権設定契約が存在していなかつたとするならば、原告は、昭和二二年六月、三―一七―九を梅岡が被告に売却した際に、一七―九上に存する通路(甲一四号証によつて示される本件通路)とそれに連絡する通路に関し、相互に自己所有地を承役地、若くは要役地とする交錯的通行地役権の設定契約が存した。

(ニ) 通行地役権の時効取得

時効取得のための要件として通路が要役地所有者によつて開設されることを要するとされる。

本件通路の開設者は梅岡であり、要役地は同人から大蔵省、田中シマ、原告先代の経路をたどつて売買若くは物納を原因として原告の所有となつたのであつて、原告が自ら開設したものと同視してさしつかえない。そうであれば、大正一四、五年に訴外亡大須賀清二郎が一七―一一に家屋を所有して本件通路を利用して以来原告が占有利用している今日に至るまで二〇年以上を経過している。よつて、原告は一七―九上の通路に対する通行地役権を時効取得した。

(二) 仮りに通行地役権の設定契約が無かつたとしても、右三メートル道路は、昭和五年の道路位置指定により行政上の道路となつたという事実の反射的利益は今日では民法上の通行の自由権として保護されるに値する権利として構成されるに至つた。原告は此の自由権に基づいて通行権を有し且つ侵害を排除出来るものである。

(三) 原告は、被告の通路の妨害行為により、この従来享受していた通路使用の生活上の利益を害されたものであり、被告の妨害行為は、建築によるものを主とするものである。

従つて、建物の被告による通路の妨害という違法な状態は、今後とも存続する性質のものであり、この建物を除去しない以上原告被害は回復されない。此の被告の行為は正に不法行為を構成すべく、原告は不法行為を理由として侵害の排除、通行の確保を請求出来るものである。

(四) なお、原告が前記通行の自由権若くは不法行為に基づく請求は、道路位置指定(9尺=2.727メートル)を根拠とするものであるから、地役権の通行権に基づく請求よりもその巾に於て、0.273メートル別紙図面(一)ニハを結ぶ線より後退し、トチを結ぶ線から九尺の線を超える部分の妨害排除等を求めることになる。

5  よつて、請求の趣旨掲記の判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項は認める。

2  同2項のうち、被告が原告主張のころその主張する土地建物を購入し(但し、家屋の売主は訴外梅岡平七ではない)、増築を行つたとの点は認め、右購入が私道負担付であつたとの点は否認し、その他私道に関する主張は争う。

3  同3項前段のうち建築基準法の施行及び建築線の指定の点は認めるが、右建築線が道路位置の指定であるとの点は争う。

同項後段のうち神田神保町三丁目一七番所在土地に建築基準法四二条二項道路の存することは認める。

4  同4項は否認。

三  被告の仮定抗弁

1  戦前の地役権についての対抗要件の欠如

原告主張の戦前の地役権を前提にしても、本件土地(承役権)の所有権が被告に移転するにあたつて、右地役権の対抗要件は備つていないから、原告が右地役権を承継していても被告に対抗することはできない。

2  地役権の時効消滅

原告主張の地役権(戦前及び昭和二二年設定の双方を含む)が仮に設定されたことがあるとしても、被告が本件土地を所有した昭和二二年六月以来本訴訟まで、地役権者と称する者の権利行使は一切なかつたから、右地役権は時効消滅している。

四  仮定抗弁に対する認容

1、2を争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1項は当事者間に争いがない。同2項のうち、被告は昭和二二年六月頃神田神保町三―一七―九を買受けたこと、被告はその後増築を行つたことは当事者間に争いがない。

二そこで、原告主張の通行地役権設定契約について判断する。

(一)  戦前の状況

〈証拠〉によれば梅岡平七は大正六年七月二五日五味〓三郎より東京市神田区今川小路一丁目二番地宅地五〇八坪五合五勺を買受けた。その後関東大震災をへて、区画整理が実施され、その施行者である東京市が大正一五年八月一五日担当技師に作成させた「震災復興土地区画整理換地確定図」(東京都財務局用地部保管)によれば、右梅岡所有地を南北に幅員1.65間の私道が通つているような表示があり、梅岡はその頃から右私道を同人の借地人及び借地上の建物の借家人に使用することを認めていたこと、区画整理は昭和四年九月頃終了したが、右私道は梅岡の所有地のままになつており、分筆登記する等の手段は講ぜられなかつた。右私道は、昭和五年一月二一日警視庁告示第六号により、巾九尺としての道路位置指定がなされた。梅岡の所有地は区画整理中の分割及び町名地番改正により昭和九年一月四日神田神保町三丁目一七番―二宅地二九一坪八合九勺となつた。右土地の借地人は大須賀清二郎であり、借家人の氏名は判からない。

(二)  昭和二二年六月六日の分割及び一七―二の北側の分譲

〈証拠〉によれば、梅岡は昭和二二年六月六日一七―二の北側の公道に面する部分を一七―五ないし一七―九に分割し、一七―二の土地の中央部の私道の東側を一七―一一、中央部の私道の西側を一七―一〇と分割し、分筆登記をし、その頃、一七―五を吉田弥四郎に、一七―六を藤沢岑生に、一七―八を小島一郎に、一七―九を被告に、一七―一〇を吉田太郎にそれぞれ売買を原因として所有権移転登記がなされた。その当時、一七―二、一七―七及び一七―一一は、梅岡の所有のままであり、本件私道の北側部分は一七―九の土地の一部として被告に売渡され、私道の中央部より南側の部分は一七―二の一部に含まれたままであつた(別紙図面(二)(三)のとおり)。

(三)  物納及び大蔵省による分割、払下

〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

(1)  梅岡は昭和二三年五月二七日、一七―二、七、一一を大蔵省に物納した(別紙図(四)のとおり)。大蔵省は、昭和二五年一〇月六日、一七―二より一七―二〇を分割のうえ松村政市に払下をし、さらに、昭和二八年八月一五日残つた一七―二より一七―二二ないし一七―二七を分割し、そのうちの一七―二四を小林榮治に払下げをした。右の時点で、払下げを受けた一七―二及び一七―二〇は直接南側の公道に接しており、残余の一七―一一、一七―二六は同じ大蔵省所有の一七―二に含まれる私道により南側の公道に通じていた。

(2)  大蔵省は昭和二九年六月一日一七―二より一七―三三ないし一七―三五を分割した。その後大蔵省は、昭和二九年七月二八日一七―二三を山田実に、一七―二五を中島忠士に払下げ、同年八月七日一七―七を石井顕に払下げ、同三〇年六月一四日一七―二一を分割のうえ武田定千代に払下げ、同三一年四月二七日一七―二二を東亜商工株式会社に払下げ、同年八月七日一七―二六を会田馬蔵に払下げ、同三三年五月二〇日一七―一一と一七―二を田中シマに払下げ、同年一〇月一日一七―三四を吉田英二に払下げ、同三四年四月二一日一七―二七を中西安一に払下げ、同年一一月一三日一七―三三を中西安一に払下げ、同三七年七月二日一七―三五を星野秀太郎に払下げた。なお、同三五年四月七日田中シマから原告の母石崎むらに対し一七―一一、一七―二について所有権移転登記がなされた。

(3)  被告は、昭和二二年六月一一日梅岡より一七―九を買受けた際、その一部が通路として使用されていることを知つていたが、梅岡と交渉にあたつた被告の父は梅岡より右通路の性格についての言明もなく他の部分と同様の宅地として買受けたものであり、父は被告に対し通路を閉鎖するよう言つていたので、昭和二六年頃、買受けた建物西側の通路上に巾三尺の増築をした。。

以上の事実によつて、先ず、昭和二二年六月一一日の地役権設定契約の存否についてみる。明示的な設定契約の存在が認めることはできない。梅岡が昭和二六年六月に一七―二より一七―五ないし一七―一一を分筆し、同年から翌二三年にかけて一七―五、六、八、九、一〇を分譲した際に、残余の一七―二、七、一一は梅岡の所有であり、一七―七は北側公道に、一七―二は南側公道に、一七―一一は一七―二を通じて南側公道及び一七―七を通じて北側公道に、それぞれ接していたものであるから、あえて、一七―九に通行地役権を設定したものと解する必要もなく、被告が一七一九を買受けた際に一部が通路の形態を有していただけで、これを黙示的通行地役権設定とみることも困難である。

次いで、大正一五年頃の地役権設定契約の有無についてみる。明示的設定契約を認めることはできない。右認定事実によれば、当時梅岡は、一七―二を所有し、それを区分して貸地としていたことが認められるが、北と南の公道をつなぐ私道を設けた動機は必ずしも明らかではなく、関東大震災後の区画整理が開始されたことに起因するものと推認できるが、その性格を黙示的通行地役権の設定とみることは困難であり、単に借地人等に対する地主の情誼的なものとみるのが相当である。

さらに、昭和二二年の分割売買による地役権設定契約の有無についてみる。明示的な設定契約は認めることができず、前認定のとおり、梅岡は昭和二二年六月に一七―二を分割し同月から翌二三年三月にかけて一七―五、六、八、九、一〇を分譲したが、残つた一七―二及び一七―一一は一七―九の一部に存する私道を使用しないでも一七―二を通じて南側の公道に出ることは可能であり、一七―二、七、一一とも昭和二三年五月に大蔵省に物納している状態であるので、梅岡としては北側の分割譲渡にあたり通路の問題を度外視して、登記面上の表示で譲渡し、私道の中央部以南は物納後の大蔵省の措置にまかせたとみるのが相当であり、昭和二二年六月分割による交錯的通行地役権設定を認めることは困難である。

三通行地役権の時効取得の主張について判断する。

通行地役権の時効取得については、いわゆる「継続」の要件として、承役地たるべき他人所有の土地の上に通路の開設を要し、その開設は要役地所有者によつてなされたことを要するものと解すべきである。

そこで、前記認定事実によれば、本件通路の開設は大正一五年頃梅岡によつてなされたものであり、要役地が同人から大蔵省、田中シマ、原告の先代をたどつて原告に帰属したとしても原告が開設したものと同視することはできない。よつて、その余の判断をなすまでもなく通行地役権の時効取得は認めることができない。

四次いで、通行の自由権に基づく妨害排除の主張について判断する。

〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

1  石崎むらは一七―一一、一七―二の土地を買受け、その土地上の建物所有者大須賀清太郎及び建物の居住者北岡英雄他三名を相手として建物収去土地明渡請求事件を東京地方裁判所を提起し、昭和四八年三月二二日一審で勝訴判決を得、その後控訴審で和解が成立し、右大須賀は建物の所有権を石崎むらに贈与して土地を明渡し、居住者らは建物から退去した。

なお、原告は右の訴訟中の昭和五〇年一〇月一三日、右各土地を石崎むらから相続した。

原告は、現在の住居が借家であるため右土地上に自宅兼店員の居室兼賃貸アパートを作り、それに附随して駐車スペースを設けようとし、昭和五二年に右土地を更地にし、銀行から多額の融資を得て、五階建の石崎ビルの建築のため設計をなしたが、本件通路について、旧建物の取壊しのための自動車の一時的通行以外の自動車の通行ができないため、右建築の実施をしていない。

2  本件通路の西側にある一七―一二、一七―一〇の土地の所有者である吉田敏が昭和四八年四月頃、右土地上に鉄骨、鉄筋コンクリート造八階建ビルを建築するにあたり、本件通路に道路位置指定があり、建築基準法四二条二項適用の道路であるため、その中心線から二メートル距離をおいて建築確認申請を受けて、そのようにビルを建築したため一七―一二、一七―一〇の土地の東側端に巾五〇センチメートルの空地を生じ、その分だけ通路が広がつた形となつた。

3  被告は、一七―九の土地を買受けた後、昭和二六年に同土地上の通路部分に巾三尺の増築を行ない、その後約一年位たつて通路に自分の自動車を駐車させ、さらに、時を経て空いているところを他人に駐車場として貸し二台駐車させていたことがあつたが、現在は自分の自動車を一台駐車し、北側公道の入口部分に移動可能な木柵を置き、空いたところにこわれたテレビ等の物を置いている。被告は、原告が旧建物を取り壊すについて建築屋の自動車の通行を認めた。また、被告は、原告が新築のため工事用の自動車の通行することは認める気持でいることを本訴中に表明しているが、その対価、条件などは明らかにしていないのみならず建築完了後原告及び原告の新築したアパートの居住者の自動車の通行を認める気持はない。

4  本件の通路の現実の幅員は、南側の公道に近いところが狭くなつており約1.7メートルとなつており、北側の一七―九の土地の部分は約2.2メートルであり、前記のとおり吉田ビル建築により一七―一二、一七―一〇の土地に約五〇センチメートルの空地が置かれたため通路は2.7メートルとなつている。右通路の北側に被告が自動車を駐車させ出入口部分に木柵を置いていると、他の自動車の進行は不可能であり、大きい物をもつて人が通るにも支障があるが、通常の歩行には支障はない。通路の南側は、自動車の通行はできないが人の歩行は可能である。本件通路の地下を下水管が通つており、附近の人が利用しており、通路上に下水用のマンホールが二、三箇設置してある。

以上の設定事実に基づき、通行の自由権に基づく妨害排除の請求についてみる。本件通路を原告が通行できるのは、本件通路が道路位置指定を受けた建築基準法上の効果によるものであり、それによつて私法上の通行権を取得したからではない。すなわち、原告の通行利益は右道路位置指定処分の反射的利益にすぎないといわなければならない。しかし、右反射的利益に基づく通行利益といえども私人の日常生活に必須な道路利用である場合民法上保護に値する自由権(人格権)として保護されるべきであり、この自由権が侵害されたときは、右権利に基づいて妨害排除し、かつ予防することができると解するのが相当である。そこで、その通行の利益として保護されるのは日常生活に必須の行動として本件通路を通行することであり、原告がその所有する一七―一一上に五階建の自宅兼従業員の居室兼賃貸アパートを建築する予定であり、これが建築基準法上可能であるとすれば、本件通路が千代田区神保町という都心であり、甲第四六号証によれば商業地域、防災地域に指定されているところであるので、右建築のための自動車の通行のみならず、居住者の自家用自動車あるいは物品配送のための自動車、緊急自動車等が建築後のアパートまで本件通路を使用して入つて来ることが、現今の日常生活の行動上必須の事柄として認められなければならない。一方、被告は、本件通路の一七―九に含まれる部分の土地について、所有者として維持・管理をなすべき義務を負つていることから通路上に側壁・障壁等の工作物の設置をする権限が認められているといわなければならない。そこで、通行の自由権に基づき具体的に通路上の工作物の除去をどのていどまで認めるかは、結局工作物の形態・構造、それによる通行妨害の態様のほか、これに接道する敷地保有者(一般第三者)の生活、敷地利用、他の通行手段等諸般の事情を勘案し、その通行(前記のとおり、本件では自動車の通行も含むと解すべきである)、出入の必要性・相当性に即してすることになるものと解すべきである。そこで、原告が収去を求める別紙物件目録(二)記載の物件は、通路の維持・管理のための施設ではないが、これは原告の先代石崎むらが一七―一一、一七―二の土地を買い受ける以前に被告が増築した建物部分であり、被告において生活上使用する必要がきわめて高いと認められ、一方右増築建物外壁面の延長線である別紙図面(一)リ、ヌ点を結ぶ線の西側の通路部分の巾は一七―九の土地内で2.2メートルあり、吉田ビル建築によつて生じた一七―一二、一七―一〇の巾五〇センチメートル空地を含めると2.7メートルとなるので、右被告所有建物部分を収去することなく自動車を含む通行は十分可能であり、かつ相当にして必要を満すに足るものと認められる。そうすると、原告がその自由権に基づく妨害排除請求権の行使として右建物部分の収去を求めることは相当でなく収去請求は失当として排斥すべきである。そして、別紙物件目録(一)記載の土地のうち、右建物部分の敷地に相当する別紙図面(一)リヌハニリの点を結んだ部分について原告が自動車で通行を含む通行の妨害禁止を求める請求も失当となる。一七―九の土地上の通路のうち別紙図面(一)トチヌリト点を結んだ部分については、南側にぬける通路も自動車の通行が不可能であり、他に方法はないと認められるので、原告の自動車で通行するための必要性が高いと認められ、一方、右部分を被告が自分の自動車の駐車場と専用したり、古テレビ等の我楽多を置くことは通行の妨害になり許されないものといわなければならない。また出入口部分の木柵も、被告以外の自動車の通行を禁止する趣旨と解されるので、適当なものとはいえない。よつて、別紙物件目録(一)記載の土地のうち別紙図面(一)トチヌリト点を結んだ部分について原告が自動車で通行することを含む通行の妨害禁止を求める部分は正当として認容すべきである。

さらに、原告の不法行為に基づく妨害排除の請求について言及する。原告の右請求も本件通路が道路位置指定されたことに基づくものであるので、その請求の当否は前に判断した自由権に基づく妨害排除の請求の認容範囲を超えるものとは解されないので、これ以上の判断をなさない。

五よつて、原告の、通行地役権の確認を求める請求、別紙物件目録(二)記載の物件の収去を求める請求は失当として棄却し、別紙物件目録(一)記載の土地のうち別紙図面(一)トチヌリト点を結んだ土地を、原告が自動車で通行を含む通行を妨害禁止を求める部分は正当として認容しその余の請求は失当として棄却すべきである。訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(荒井眞治)

図面(一)の二、(二)、(三)、(四)〈省略〉

物件目録(一)

東京都千代田区神田神保町三丁目一七番九

宅地 69.22平方メートル

のうち、別紙図面(一)トチハニトの点を結んだ部分40.05平方メートル

物件目録(二)

東京都千代田区神田神保町三丁目一七番九

木造二階建店舗兼居宅

床面積 一階 51.13平方メートル

二階 37.78平方メートル

のうち、一階西側部分6.675平方メートル(別紙図面(一)リヌハニリを結んだ部分)。

物件目録(三)

東京都千代田区神田神保町三丁目壱七番壱壱

宅地 125.61平方メートル

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